7/8 歴史塾中止
7月8日(土)10:00~子規記念博物館で開催を予定しておりました「湯築城歴史塾 第2回」は、講師のご都合により中止いたします。
次回(第3回)は、8月5日(土)10:00~子規記念博物館で開催予定です。
6/24 歴史塾始まる
今年の歴史塾「領主層・国衆の動き」―選択・生業・城― が6月24日(土)から、子規記念博物館(4階講堂)で始まります(9月30日までの6回開催)。詳しくはチラシで
7月8日(土)10:00~子規記念博物館で開催を予定しておりました「湯築城歴史塾 第2回」は、講師のご都合により中止いたします。
次回(第3回)は、8月5日(土)10:00~子規記念博物館で開催予定です。
今年の歴史塾「領主層・国衆の動き」―選択・生業・城― が6月24日(土)から、子規記念博物館(4階講堂)で始まります(9月30日までの6回開催)。詳しくはチラシで
(くひ−こばやしいっさ−)
寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉
小林一茶
寛政7年(1795)、俳人小林一茶は、その師二六庵竹阿の旅の跡を慕い、松山の俳人 栗田樗堂らを訪ねて、松山に来た。その旅日記(寛政7年紀行)によれば同年2月1日のところに「道後温泉の辺りにて」と前書きしてこの句がある。
1996年は小林一茶(33歳)が松山に来遊して丁度200年になる。
一茶の来遊は寛政7年(1795)と翌年の二度にわたる。最初の来遊のとき松山に俳諧で有名な栗田樗堂(47歳)がいた。一茶はこの樗堂と意気統合し、多くの句を残している。寛政8(1796)年には半年以上に渡って樗堂宅(二畳庵)に滞在し、その交遊は並々ならぬものがあったと想像される。